ふるさとの家(旧大久保家住宅)は文政年間(1818~1830年)頃に建てられた建物で木造平屋建、寄棟、平入、茅葺、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、床面積70坪、内部には馬屋があり人と馬が一緒に生活していた頃の建築様式をよく残しています。当初の建築地である旧倉石村大字守市字大久保は、江戸時代、南部藩の南部9牧(大間野牧、奥戸野牧、蟻渡野牧、木崎野牧、又重野牧、相内野牧、住谷野牧、北野牧、三崎野牧:南部藩はここで飼育された馬を将軍家に献上したり、他藩の大名に取入る為に贈答したり、藩主や一族の愛馬にしたり、民間馬の種付けとして貸し出しなどに利用し藩財政の一翼を担いました。)の1つ「又重野牧」があった場所です。又重野牧は南北六里、東西一里と広大で藩所有の馬が半野生状態で放牧され、その馬を捕獲する事を「御野馬捕り」と言い、その作業は周辺の農家が従事しました。基本的に無報酬で、半野生化した馬を捕獲する事は重労働かつ危険が伴い、長期間農作業から人員を割かれる事から農家にとっては大変な負担が強いられました。旧大久保家住宅はその当時の農家の生活を現在に伝える貴重な建物として平成7年(1995)に現在地に移築され、五戸町の所有しておりましたが、町の指定管理が剥がれた際に、ふるさとの家保存会の所有となり、現在はふるさとの家保存会が保存、管理を行っております。